オレンジのキャラメルケーキ。                       この味がお気に入りのAさん、Bさん、Cさん、Dさん・・・Wさんの顔が、ふわふわと浮ぶ。                                

大好物だったSさんは、すうっと空へ還られた。               まだ店舗の無い流浪の菓子屋だった青い頃から「まめすずさんのお菓子は美味しいわよー、大丈夫」と、もぐもぐ頬張りながら支え続けて下さった。

病状を尋ねても、にっこり笑って「そんなことを話しては、心が暗くなるばかりでしょ。それよりも、最近良い本を読んだのよー!」と柔らかくはぐらかして、専門の文学や絵画、映画の素晴らしさを次々と語られた。豊かな刻だった。    「私を思い出す時は、どうか泣かないでね。お馬鹿さんな失敗話をして皆で笑って頂戴ね」というのが遺言だと、近しい方が涙をこぼしながら伝えてくれた。

ふいに空が暗くなり、やがて雨音が響き、にわかに突風が吹きすぎると、戸惑う小さな風が玄関扉を開けてゆく。ああ、これは何方かが食べに来はった、と表を見やり、きっとキャラメルケーキだろうなSさんなら、とひとりごちる。

もう今生で会えぬ人は遥か遠くへ発ったわけではなく、わたしが忘れ去った時に、本当に手の届かない彼方へ、きっぱりと渡ってしまうのだと思っている。

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