なぜ、この仕事に進んだのか、というお尋ねをよくお受けします。
ここで、昔話をおひとつ。
20才そこそこの私は、重度のシュガーホリック(砂糖依存症)でした。
どれほどかといいますと、市販の大袋のクッキーをぺろりと平らげ、間髪いれずに甘いパンやケーキを2,3個胃に収め、やっと落ち着くのです。
何かに急かされるように甘いものを次々と口に入れていました。
気分の激しいアップダウンと、身体のだるさと重さ、冴えない顔色に、消えない吹き出物。付け焼刃の健康法に手を出しては挫折のくり返し。
流行りましたね、「○○ダイエット」やら、なにやら。
体調の悪さに悩まされ、悶々とした身体を抱えてずいぶん長いこと過ごしていたある日、図書館で手にした東洋医学書がすべてのはじまり。
お恥かしいことに、それまでの私は、食物が身体をつくるという真実にとんと無頓着でありました。
砂糖に中毒性があるということも。
華やかな生クリームたっぷりのケーキを食べた後、きまって具合が悪くなった訳。
市販の揚げ物を食べた夜、頭が痛くなった訳。
喉が焼け付くほどに甘いものを食べると、塩辛いものが食べたくなる訳。
それには明らかな理由がありました。身体は一生懸命にサインを出していたのです。
何て賢いのでしょう、身体は。
そのことに、素直に感動し、深く反省。
毎日の食事、飲みものを少しずつ改善する毎日が始まりました。
市販のお菓子が甘すぎることにやっと気づき、手作りし始めたのもこの頃。
そして、実際に泡立て器を握って知った真実にびっくり!
世のお菓子は、あふれるほどの白砂糖と油脂で作られていて、皆当たり前のように食べている・・。
台所に立ち尽くしたのを覚えています。
しかしながら、根っからのお菓子好き、甘いものからの完全な卒業は身を切られるように辛いことでした。
身体や味覚と程よく折り合いをつけられる甘みの菓子を、試行錯誤。
もくもくとこしらえては、せっせと消費。
半年が経過する頃、体重は10kg以上落ちていました。
この時から、様々な甘さの世界に魅了され、現在に至ります。
洗双糖に始まり、てんさい糖やメープルシロップ、麦芽シロップ、玄米水飴に米水飴。はちみつも。肌の調子がすぐれない時は、はと麦水飴やきび水飴を。麹から仕込み、ゆっくりと醸す自家製甘酒は、とびきりの美味しさ。
どの甘味を選ぶのかは季節や天候、体調に応じて変えるのです。
バターは使う?うーん、今日はちょっと身体が重たいし、なたね油で作ろうか。卵も今日はやめておく。
焼きこむ果物は、ぎゅっと甘みを閉じこめたいな。米飴よりは、メープルシロップでマリネしておこう。
だいぶ気温もあがってきたから、少しだけ陰性でも大丈夫そう。
こんなふうに、食べた後も軽やかでいられるよう、ひとつひとつレシピを決めています。
食養生のあれこれを、痛烈に体感したからこそ、作り続けていられるのかもしれません。
たくさんの情報で満ちているこの世の中、忘れてはならないのは、生身のからだに耳を澄ませていることだと。
若い頃の私は、自分の人生に足りない何かを、食べ物で胃を満たすことで誤魔化していたように思うのです。
いつもそばにいてくれる食べ物は、愛情の代替品でもあるのですから。
きっと、あなたにとっても。
店主・能登山晶子 (のとやまあきこ)
札幌市出身。
会社員、珈琲店、ナチュラルスイーツ製造の勤務を重ねたのち、進学のため京都へ移る。
ケータリング業を経て、2011年4月、奈良市内にて実店舗を開店。
小豆をとぐ音が、私の耳には鈴のごとく響き、たいへんに快いことから「まめすず」を屋号とする。無類の豆好き。
お豆を慈しむことを、なりわいの一つとしています。
たとえば → (Click!)
この数年は、どんぐり菓子を拵える作業も仕事のうち。